近年の琵琶湖をめぐる環境課題 vol.5
琵琶湖と環境行政(2/3)
ところで、筆者が研究しているテーマに、琵琶湖集水域北部における、冬の冷たい流入河川水が湖深層にもぐりこむ現象の解明がある。筆者は2年前から琵琶湖の研究を始めたが、その前にはフランスとスイスの国境にあるレマン湖という湖の研究を行なっていた。この湖は最大水深が309mある深い湖で、現在は特に寒さの厳しい冬にしか循環しないが、19世紀末には毎年循環が起こっている湖として報告されていた(Forel,1895)。数年に1度しか循環しないこの湖は、循環のない年でも毎年一定濃度(3~4mg/l)の酸素の回復がある。筆者はこの酸素の供給源がレマン湖流入河川の総流入量の8割を占めるローヌ川からの河川密度流(水温その他の原因によって周りの水と密度が異なるために起こる流れのこと)であると考えている。ローヌ川の集水域の9パーセントは氷河で覆われ、そのためローヌ川の水温は低く、特に、河川水が湖の深層水温以下になる冬季に湖深層の酸素が回復していることが統計によって明らかにされている(長谷川, 2006, Hasegawa & Okubo, in press)。レマン湖と同様、ヨーロッパアルプスにあるマジョーレ湖(最大水深372m)も、数年に一度しか全循環を起こさない湖だが、集水域に氷河があり、やはり毎年深層の酸素は回復している(Commissione Internazionale per la protezione delle acque italo-svizzere ; 2002)。ヨーロッパの氷河はあと50年もしたら消滅すると言われている。そうなれば、レマン湖やマジョーレ湖の深層は無酸素になるだろうと筆者は考えている。鹿児島にある池田湖も、1980年代から循環が停止し、深層がほぼ無酸素になっている。琵琶湖は、日本では池田湖の次に南に位置する深水湖で、早晩全循環が起こらなくなる湖だと考えられている。2007年はその将来を垣間見るような事態(低酸素状態)に陥った。このような低酸素や湖底の魚の大量死に関して滋賀県の反応は鈍かった。だがここで重要なのは、「深層の酸素濃度が今までになく低濃度になった」という事実と、「(原因が何かは特定できなくても)数年前から淡探による調査を行なっていたが、今年はじめて魚の大量死が見つかり、その範囲は酸素が低かった地域と一致していた」という事実である。事実を直視せず、詳しい調査結果を待たないとわからないと言ってさまざまな対策や判断を先送りするのは、行政の常套手段かもしれない。
琵琶湖集水域の中でも特に冬の積雪量が多い姉川の支流高時川に新しいダムを作ろうという計画がある。そのダムを作るにあたり、近畿地方整備局はダムを作ることによる琵琶湖への密度流の影響について調査報告をまとめている(近畿地方整備局,2007)。この報告書は「姉川の融雪洪水は3月に起こるが、3月は既に川の水温が湖の水温に比べて高いので密度流としての効果はない」という主旨のことを主張している。示されているデータを見る限り、3月の姉川の流量は確かに1,2月よりも多い。しかし、1,2月よりも多いと言うだけで「融雪洪水は3月に起こる」と断言している点は科学的な根拠がない。1,2月にも雨が降れば融雪洪水は起こるからである。しかも、1,2月の河川水は湖水よりも水温が低く密度流となる可能性大であり、なおかつ、3月と比べても、無視できるほど少ない流量とはとても思えない。ところがこの報告書では、3月に流量が比較的多いというだけで、1,2月の流入を無視して結論を導いている。また、姉川起源の密度流が発生していることについては以前から観測によりその存在が確認され報告されているが(Kumagai & Fushimi, 1995)、それらの学術論文についても、この報告書の中では取り上げていない。筆者らの2007年度の観測結果によっても1,2月には密度流が長期間にわたり発生している。自らの主張を通すため、都合の良い部分のみを取り上げて結論を導いているように思える。
[琵琶湖と環境行政(3/3)に続く]
この文章は、2008/8 地理に掲載された原稿を元に、作者長谷川氏の許可を得てアップしています.
古今書院HP
http://www.kokon.co.jp/
「地理」53巻8月号目次
http://www.kokon.co.jp/5308-m.pdf
↓この写真は本文とは関係ありません。(湖上より葛籠尾崎周辺を望む 10月9日撮影)
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